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教えを請うものなら誰であろうと・・、五木寛之さんの仏教への旅(2)

 投稿者:奇跡の人・ブッダ  投稿日:2013年 8月19日(月)19時55分21秒
返信・引用
   題 : 教えを請うものなら誰であろうと・・
         五木寛之さんの仏教への旅(2)
     (齢80の仏陀は、ただひたすら歩み続ける)

ナレーション: 出発点・霊鷲山から旅の終わりとなった
     クシナガラまでの道のりは、およそ400キロ。
      この道を、80歳の仏陀は、ひたすら歩き続
     けました。
      仏陀が最後に歩んだ道を、74歳を迎えた五
     木寛之さんが、辿ります。
      霊鷲山から北西に16キロ。仏陀は、ナーラ
     ンダ村に立ち寄っています。
      行く先々で、仏陀の元には多くの人々が、集
     まってきました。
      王侯貴族からカースト街の差別を受けている
     人たちまで、さまざまな階層の人々です。
      仏陀は、教えを請うものなら誰であろうと分
     け隔てなく、法を説いたと言われています。
      仏陀・最後の旅は、いつもと変わらぬ、布教
     の旅として始まりました。
五木さん: あーなんだか、もう本当に夢の様な幻想的な
     風景ですねー。木があって、なだらかな丘があ
     って、その向こうに また木陰に白い塔がある、
      村の人たちが、三々五々、ここに座ったり
     腰掛けたり、子供達が走り回ったりしています
     が、自然の中に、
     こんな場所があるなんて、何と贅沢なことなん
     だろうと思います。『ナマステジー。・・ナマ
     ステジー』
     (一つの堂に来た。あたりを見渡す、五木さん)
      えーっ、暗くて見えませんけども、この中に
     あるのは仏陀の坐像ですね。釈迦牟尼坐像。
      ナマステジー。あのーチョット伺いますけれ
     ども、この塔の中にある仏像は・・・?
インドの住民: 仏陀の像です。お釈迦様の像です。
五木さん: 何時ごろからあるものなのですか?
インドの住民: むかしむかしからあります。
五木さん: 昔々というと、おじいさんの代からですか、
     もっと昔ですか?
インドの住民: 祖父の親の前から さらに前から。
五木さん: すごい、これは驚きました。ほー、この丘の
     上の小さな祠の中に、・・・いやー、まさしく
     これは仏陀の坐像です。ほーっ。・・・イヤー
     驚きました。素晴らしい仏像ですけれども、相
     当古いものだと思いますが、とにかく立派なの
     ですよね。
      シルエットといい、バランスといい それに
     しても、この右手とお顔の損傷というのは実に
     生々しい。インドの歴史のありようを感じさせ
     てくれる様な気がします。
ナレーション: ナーランダに心行くまで留まった仏陀は、
     ある日、弟子のアーナンダに こう告げます。
     『さー、アーナンダよ、パータリ村へ行こう』
      仏陀は、三つの袈裟と托鉢用の鉢一つだけを
     だずさえてパータリ村を目指し歩みを進めます。
      その後ろには、仏陀を慕う多くの修行僧がつ
     き従っていました。
インドの祈りの歌: 私は仏陀に帰依します。
        私は仏法に帰依します。
        私は僧伽(そうぎゃ)に帰依します。
     (参考)僧伽:〔仏〕〔梵 sagha の音訳〕仏
       教修行者の集団。僧侶の集団。広義には、
       在家を含む仏教教団全体をいうこともある。
       和合衆。和合僧。僧祇(そうぎ)。
ナレーション: ナーランダからパータリ村までは、およ
     そ90キロの道のりです。
映 像:(悪路で自動車の中で大きく揺れる、五木寛之さ
     ん)。    (つづく)
.
  (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
URL: http://32983602.at.webry.info/
 
 

汚れからの「まったくの解脱」、五木寛之さんの仏教への旅(1)

 投稿者:奇跡の人・ブッダ  投稿日:2013年 8月19日(月)03時24分9秒
返信・引用
  題 : 汚れからの 「まったくの解脱」
         五木寛之さんの仏教への旅(1)
     (You Tube 聞書き):何度もオン・オフしな
      がら、また調べながら作りました。
映 像 : 霊鷲山(りょうじゅせん)の映像。
     インドのビハール州のほぼ中央に位置する山。
     仏陀(釈迦佛)が無量寿経や法華経を説いたと
     される。

ナレーション: 誰にもやがて訪れる死。
映 像: ハーハーと息を弾ませながら霊鷲山の階段を
      登る 五木寛之さん。
ナレーション: 人生の旅路の最後で、人は、老いや死と、
      どの様に向き合えば良いのでしょうか。
      およそ2500年前、その問いに一つの答え
      を出した人が居ます。
五木さん: あー。もう少しだ。・・・。アー見えた。
ナレーション: その人の名は、
      ゴーダマ・シッタールダ(パーリ語形。釈迦。
      仏教の開祖)。
      人々からは目覚めた人・仏陀と呼ばれました。
五木さん: 最後の階だ。・・・。アー・・・。
    ナマステ。ナマステー。(遠くから、経を上げる
     声が聞こえる)。
    (参考)ナマステ: サンスクリット語、インド
    やネパールで交わされる挨拶の言葉。
ナレーション:生きること、老いること、病(やまい)、
     そして死。
     人生は苦しみに満ちている。
     仏陀は、その苦しみと、「 共に生きること 」
     を説き続けました。
(キリスト教は「人は生まれながらに原罪がある・救って
    貰う」とは違う)
五木さん: 「仏陀、さらまんがっちゃーみ」。「仏陀、
     さらまんがっちゃーみ」。・・・
      「何という静かな場所なんだろう」。
ナレーション: 作家・五木博之さん。仏陀が、最晩年に
     至るまで教えを説いたこの霊鷲山を初めて訪れ
     ました。
五木さん: ちょうど、齢80を迎える頃に、この霊鷲山
     に滞在していた仏陀は、そこから山を降りて、
     そして、大変困難な旅、ガンジスを超えて、北
     へ北上するという、6ヶ月・数百キロにおよぶ
     旅に出発する訳です。
      そして、その最初の出発点がこの霊鷲山、
     一体、仏陀が80歳になって何を感じ、そして、
     大変困難な旅に出発する、その最初の動機は何
     であったんだろうというふうに勝手に想像する
     んですが、人間というものは、ある時期に達す
     ると、自分の人生というものを振り返ってみな
     がら、そして、その自分の人生の締めくくりと
     いう様なことを 否でも応でも感じない訳には
     いかない訳ですね。
      自分自身も、この70歳を超えて、仏陀が死
     を迎える死への旅である、そして、最後の旅で
     ある その仏陀の死の旅の足跡を、自分自身で
     歩いてみるということを自分の人生に重ねてみ
     ますと、何とも言えない不思議な感じがします。
     (霊鷲山にある仏像に手を合わせる、五木さん)
ナレーション: 悟りを開いて45年。常に布教・伝道の
     旅にあった仏陀。80歳で、ここ霊鷲山を立ち
     ます。
      それが最後の旅になりました。
      苦難に満ちた旅の中で、仏陀その人は、いか
     に老いを受け入れ、病(やまい)に耐え、そし
     て、どの様に死を迎えたのでしょうか。
      およそ2500年前、釈迦族の王子として生
     まれながら、出家し、苦行のはてに悟りをひら
     いた仏陀。
      その教えは、時を越え、多くの人々の中に広
     まって行きました。
      人は、何故、苦しむのか、苦しみと如何に向
     きあうのか。
      仏教2500年の歩みは、その問いかけの歴
     史でもありました。
      21世紀を迎えた今も、人々は変わらず多く
     の苦しみを抱いています。
      その中にあって仏教は何をなし得るのでしょ
     うか。
      シリーズ・21世紀・仏教への旅。第一集。
      作家・五木博之さんが 仏陀・最後の旅をた
     どります。
字 幕: 第一集 ブッダ最後の旅 インド
ナレーション: さまざまな伝説に彩られ、なぞに満ちた
     仏陀の生涯。しかし、その晩年については克明
     な記録が、いくつかの経典として残されていま
     す。
      大般涅槃経や、ダイパリミッパーナ経。
      そこには仏陀の死と、最後の旅の様子が記さ
     れております。霊鷲山から旅立つ前、仏陀は弟
     子達を集め、悟りに至る道について次のように
     説きました。
        戒律と共に修行して
        完成された精神統一は
        大いなる果報をもたらし、
        大いなる功徳がある。
        精神統一と共に修養された智慧は、
        偉大な果報をもたらし、
        大いなる功徳がある。
        智慧とともに修養された心は、
        もろもろの汚れ、すなわち、
        欲望の汚れ、
        生存の汚れ、
        無明の汚れから
       『 まったく解脱 』 する。(つづく)
.
  (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
URL: http://32983602.at.webry.info/
 

そしてまた、嘘をついた事例が不幸を・・。

 投稿者:民からの声  投稿日:2013年 8月10日(土)01時17分42秒
返信・引用
   題:そしてまた、嘘をついた事例が不幸を・・。
...(真を求めて、皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教の十字軍も、
 キリスト教の酷(ひど)い嘘宣伝で、
 皆様は間違った印象・記憶をキリスト教にさせられています。
 キリスト教は、次の様に言った。
 「セルジュク・トルコが、聖地エルサレムへのキリスト教徒
の巡礼を迫害している」・・と。
 しかし、事実は違った。
 研究が進んで来た、今・現在、研究の結果では、まったくの
キリスト教の作り話で、嘘と分かった。
 当時のキリスト教の教皇や聖職者たちが、自分たちだけの利
益を目的に、事を大げさに作り上げた話だった。
 この事で、なんと多くの人たちが死に、
 また、なんと多くの人たちが、人生を狂わされたかである。
 まったく『罪作りなキリスト教』である。
 「神、それを欲し給う」とキリスト教聖職者たちは煽(あお)
った。
 民を死地へ赴(おもむ)かせた。
 イスラム教側にとっては、このキリスト教の攻撃は、一方的
なキリスト教の攻撃となり、
 イスラム教とキリスト教との無益な戦いが始まった。
 イスラム教側は、キリスト教側の攻撃の目的が分からない状
態であった。
 しかし、「ジハード(聖戦)」として戦った。
 キリスト教の教皇の無益な欲望に酔った、ゴマスリ聖職者た
ちの「無益な戦争」は、200年も続いた(1096から1291年)。
 結果は、キリスト教側の目的は失敗に終わった。
 同じキリスト教である「キリスト教正教会」を攻撃するとか
滅茶苦茶だった。
 エルサレムの目的地に行ったのは1回だけのテイタラク。
 十字軍の行軍する道は、略奪の強盗軍団だった。
 しかし、最大の不幸は、この事件を切っ掛けに、キリスト教
側とイスラム教側が憎み合う状態になってしまった事だった。
 この様な状況を作った長い年月の無益さを起こしたキリスト
教の罪は重い。
 イスラム教側は、キリスト教軍を「十字軍」と呼ばずに、た
だ、「フランク人」と呼んだ。
 そして、更に不幸な事は、この十字軍の無益な攻撃は、攻撃
目的の分からないイスラム教側に「ジハード(聖戦)」を持っ
たスンニー派主義が生まれてしまった事だった。
 訳の分からないキリスト教側からの、何度も何度も繰り返さ
れる攻撃。
 イスラム教側の戦闘的な不寛容な派の誕生となった。
 それまでは、イスラム教は寛容さがあった。
 また、当時は、イスラム教側の方が学問的に、また、技術的
に進んでいた。
 キリスト教側は、「ガラス工芸技術」とか「砂糖生産技術」
とか医学などの知識を得た。
 なのに、キリスト教は、まったく逆のことを、得意のプロパ
ガンダ(嘘宣伝)で、
 イスラム教側は、野蛮で、無知・劣っていると嘘をついた。
 そしてまた、この様な、キリスト教が嘘をついた事例が、後
年まで、後々まで続く不幸を生んでいるということが分かった。
    (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
URL: http://32983602.at.webry.info/
 

行動の原点に・・・。

 投稿者:民からの声  投稿日:2013年 7月30日(火)15時34分6秒
返信・引用
   題:行動の原点に・・・。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 イスラエルの民に「選民思想」というものがある。
 「神に選ばれし民」という思想である。
  自民族を特権意識下に置く思想で、
 生まれて来る子供達も、否応なく、
 誰かれ構わず、特権意識に洗脳され、
 芽生えさせられ、世代を繰り返していく。
 そして、その特権意識は、一人歩きをして悪さを始める。
 そしてまた、この意識は、キリスト教と共に伝搬して行く。
 また、砂漠の地である飢餓の地で生まれたキリスト教が持っ
ていた「自民族存続のための思想」、
 隣国の富の奪い取りを『是』とする「特権思想」。
 この思想と相まって悪さは際限なく繰り返されていく。
 (キリスト教の)神の義だとして、正義とされた略奪行為の
「行動の原点」にある考え方。
 そして、キリスト教と共に、ヨーロッパへも伝搬して行く。
 ヨーロッパ人へ影響を与えたこの思想・考え方は、
 全世界の民を、『非選民の異教徒』と見て、
 異教徒とされた世界の民は、洗脳されたキリスト教徒から蛮
行を受ける。世界のあちこちで悲惨な歴史が展開する。
 自民族優先の考え方は、その逆の「異教徒は殺せ」のキリス
ト教の教義を元として生まれ、悪行為の元となっている。
 自分たちを選民だと思い込み、他民族を蔑(さげす)み、ま
た、他民族を利益を吸い取る・略奪するターゲットと見た。
 古い時代から、キリスト教聖職者が、黒人の方々を蔑んだ言
葉が記録に残っている。エチオピアの方々を、「人間ではない」
と無視し、蔑視している。それが、エチオピアでの行動の原点
となっている。
 また、南米・中米、そして、北米メキシコ、及び、それらの
離島でしでかした、キリスト教徒とそれに同行したキリスト教
聖職者たちの蛮行。何と1000万人におよぶかという悲惨な大虐
殺。
 この時も、キリスト教聖職者の「当時の言葉」が残っている。
 現地からの問い合わせに対し、聖職者は、現地の人々を「人
ではない」と、ここでもまた言っている。この言葉が行動の原
点。
 「賎民の意識」と「キリスト教の教義」で、世界中で悪行を
して来たキリスト教。そして、その歴史。
 その悪行にまみれたキリスト教の思想は、今・現在も何一つ
変わらず、存在し続けている。そして、あちこちで悪さをして
いる。洗脳するキリスト教会の悪行為。
 イエスも特権意識を持っていた人。その意識から発言した。
 民を、さ迷う羊の如くに見て(何ら、権威ある人格とは見な
いキリスト教)、その意識下での行為が続いている。あたかも、
「肉と毛」を提供する『供犠の羊』と同じ位置付けにしている。
 そして、その様な意識下で接しられ続けている。
 権威づける儀礼の中で聖職者は、自分好みに説く、
 また、自ら特別な権威付けをあらゆるところでする、
 そして、特権がある、権威があると錯覚した存在で、誤解し
た存在で、今でも、悪行為をし続けている。
     (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
URL: http://32983602.at.webry.info/
 

当時の、特殊事情の説明・話で構成されている

 投稿者:ななしのひつじさん  投稿日:2013年 7月28日(日)01時35分37秒
返信・引用
  題:当時の、特殊事情の説明・話で構成されている
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教の聖書は、「昔はこの様な状況でした」と説明す
るにすぎない本です。
 例えば、(「マルコによる福音書」2・1~12)には、中風の
病気の人が、イエスに癒(いや)されたという話があるが・・、
 これは、古代の当地では、何かその人が悪い事をした報(む
く)い、古代の当地で、決められていた律法を犯したことが、
そうした形で出て来たのだと思われていた。
 悪いことをしたから病気になるという、悪いことをした原因
の結果、病気になるという『因果律』の考え方だった。
 イエスも、この様な『因果律の考え方』を持ち、そう思って
いて、その『因果律の考え方の結果』から行動を起こす人だっ
た。
 また、当時、その人が悪い事をしてないと思っても、先祖の
人が、何か悪い事をしていれば、その結果が色々な病気などの
不幸となって現われてしまうのだ(報い・むくい)ともされて
いた。
 つまり、先祖の報(むく)いが子孫に仇(あだ)となって表
れたと考えられていた。
 このイエスの考え方は、原始の古代時代には良くある『古い
考え方』だった。
 ユダヤ教は明らかにその様に考え、ユダヤ教のイエスもその
様な宗教性に捉(とら)われ、染まっている人だった。
 故に、イエスは、この考え方に則(のっと)って行動をした。
 今・現代の考え方とは、まったく違う行動パターンだった。
 そして、人間が罪を犯しているかどうかの尺度として律法と
いうものがあった。
 一番重要な当時の守るべきものと考えられていた。
 イエスもこの考え方から「病気癒しの行為」をした。
 それは、神から与えられたものと考えられており、
 また、神の命令とも考えられていた。
 そして、神との約束とも考えられており、
 神と交わされた契約なのだとも考えられていた。
 その中には、神と人間との契約以外に、人間と人間との契約
も含まれているというおかしな所もあった。
 その様な考え方から、守らねばならない契約として古代人の
この頃の人は『この律法』を重要視した。
 故に、その中風の本人か、または、その中風の人の先祖の人
かが、律法を破っていると考えられいて、この様な病気になっ
たとされた。
 律法を破っている者は、神に喜ばれない者であるとされ、そ
して、そう考え、この様に、律法は非常に怖い報いがあり、だ
から、その怖さから逃れたい、報いを避けたいという気持ちか
ら、律法は守らねばならないもの、守るべきものとされていた。
 イエスの活動は、この様な、古代の観念の中で行なわれた。
 以上の様な、現代には無い、色々な細々(こまごま)とした
事情の説明を受けない限り、そのほとんどが理解できない、理
解不能な、当時だけの特殊な事情の下(もと)での話だった。
 キリスト教の聖書は、この様な、古代の特殊事情の説明・話
で構成されていて、だからその当時の古代は、「こうしました」
と、その説明があるという本なのである。
 現代とは、まったく、異質な次元の話で、
 その特殊な事情ゆえ、
 今・現在では、何ら得るべき様な所は無いといえる。
 結局、古代の、針の先で突(つつ)く様な特殊な事情のもと
で、イエスが、その特殊事情で「ああした」「こうした」とい
う話なのである。役に立つような所はない。
      (詳しくは、以下のブログに)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
URL: http://moppo28.blog.so-net.ne.jp
 

伝道活動について

 投稿者:ぽんぽこりん  投稿日:2013年 5月21日(火)16時58分5秒
返信・引用
  題:キリスト教の伝道活動について
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教の実体が判らなかった明治維新は、
 西洋のすぐれた学問などの知識を得たいの機運から、
 日本人の優れた特性「進取の精神」から、
 西洋の学者や教師を招いて『何でも学ぶ時代』だった。
 何でもかんでも勉強しよう、学ぼうの日本の民だった。
 その様な時代は、「西洋の総べてが良い」の気運で、
 その時代の想いからキリスト教もよいと思った。
 それ故、進取の思考の明治の学究の徒の人たちは、キリスト
教も一生懸命に学んだ。
 そして、まだ、よく分からない内にキリスト教化した人もい
た。
 しかし、今現在、キリスト教の事が、種々、分かってきた時
点において、
 また、最近の聖書学などのキリスト教研究において、
 それらの研究成果の情報から、キリスト教の問題点が、
種々、分かり、明らかとなって来た。
 しかし、それ故、キリスト教は、プロパガンダ(キリスト教
は素晴らしいという嘘宣伝)に専心している。
 その為もあり、その悪さ加減が隠されているけらいがあった。
 今、西洋・ヨーロッパは、脱キリスト教が、大分、進んでいる。
 アメリカにおいても、知識層は、特に、脱キリスト教の状況と
なっている。
 それ故、キリスト教側も、教勢の維持の行動を強く行なって
いて、例えば、学校などの場でのキリスト教教育について、問
題が多発し、裁判事例も多い状況となっている。
 その多くで公正な宗教教育が大義である事により、キリスト
教側の敗訴が続くという状況の中にある。
 その様な現状の世界の中で、日本においても、活動や働き掛
けがある。
 例えば、NHKを利用したキリスト教の巧妙なる伝道行為が
多く見られる。
 以下は、その事例の1つ。
(参考)しん‐しゅ【進取】 みずから進んで物事に取り組むこと。
「―の気性に富んだ人」
(参考)がっ‐きゅう【学究】 もっぱら学問の研究に携わること。
また、その人。「―の徒」「―肌の人」
.
ーーー1事例ーーーー
題:NHK、キリスト教に偏する放送をし続けている。
.
 拝 啓、
 御仕事、ありがとうございます。
 下記はNHKへ送信した文です。
 NHKは、何度、申し上げてもキリスト教に偏しています。
 (キリスト教の美化行為と他宗教の侮蔑行為)をする放送を
し続けています。
 キリスト教の『巧妙なる伝道』行為となっております。まっ
たく改まりません。
 是正するように促していただけないでしょうか。
 よろしくお願い申し上げます。         敬 具
 ーーー(NHKへの送信文)ーーー
 題:NHK、キリスト教に偏する放送をし続けている。
.
 2013・5・18、NHKラジオ第一、am4:05~、番組名:「ラ
ジオ深夜便、明日への言葉・ハンサムに生きる」、話者:佐伯
順子氏(同志社大学大学院・教授)、アナウンサー:中村宏氏
(NHK職員、明治学院大学卒)、
 NHKは、キリスト教に偏する放送をよくしますが、今まで、
その数々の行為を指摘させてきましたが、改まりません。
 本日の標記の番組も、この類いの放送でした。
 内容は、NHKが、日曜日の大河ドラマと銘打ってNHKが力を
入れて放送しているドラマの主人公の「八重」を絡め、キリス
ト教を美化する、偏した放送内容でした。
 結局、放送内容は、「キリスト教の巧妙なる伝道行為」と
「NHKの番組宣伝」でした。
 NHKは、キリスト教系の大学教授を話者にして、「キリスト
教の巧妙なる伝道行為」を放送することが非常に多い状況です。
 本番組もそうですが、この様な行為、NHKという絶大な影響
力を持つ公器を、あたかも私物と化し、
 キリスト教の伝道行為をするNHK職員もキリスト教系の大学
を出身とするNHK職員が多い状況です。
 「キリスト教を美化し、その他の宗教をを卑下する放送」。
まったく一面的な見方を、さも正しい様に言います。
 その様な話を大学教授という話者に話させる。
 キリスト教は愛の宗教、キリスト教以外の宗教の愛は、女性
の立場を認めていない。
 他宗教は女性を抑え込んでいると言う。
 まったくキリスト教だけを美化する偏した言い方だ。
 キリスト教聖書を読めばわかること、キリスト教でも兄弟で
殺し合い、親を裏切るなど、「愛あるべきところに愛がない」
という記述などが一杯ある。
 「キリスト教の愛だけが正しい愛だ」と断言する話者。まっ
たく酷い偏った言い方だ。
 まったく洗脳的にNHKの放送媒体を利用して伝道する。
 「平等のキリスト教だ」と美化・宣伝・伝道行為の話が続き、
その類いの話に満ちている。
 仏教にも「平等院」という建物があるのを1例の様に,平等を
説く。
 他の宗教を、この話者は「全くない」と断言し、卑下し放送
する。まったく偏っている。
 他宗教は、あたかも古来の愛だ、駄目なのだという悪印象を
植え付けようとしている。
 キリスト教に関しては素晴らしいの話ばかり。
 他宗教は封建的だという言い方。献身の愛だというが、キリ
スト教もこの愛は説いている。
 キリスト教以外の他宗教は、それが虐げられているという印
象を与える言い方。
 他宗教は古いという印象を与える言い方。
 押し付けられている愛だとは、まったくの言い過ぎ。
 虐げられた愛だとは全くの言い過ぎ。
 他宗教は、キリスト教より劣っているのだと思わせ、洗脳する
言葉。
 キリスト教だけが平等で正しいのだとの独善の話。
 NHKの公共放送で呆れる内容。
 NHKも編集すべき、カットすべき内容を、そのまま放送電波
に乗せてしまったという内容。
 だから八重はキリスト教に引かれたのだと何度も言う。
 NHKの偏頗なキリスト教美化の放送はよくあり、仏教など他
宗教の話は全くない偏した放送状況にあります。
.
(追伸) 明治の人が維新の時、西洋から学んだ事が、今の学問か
ら見れば、悲しいかな陳腐化している。これは止む得ないこと。
 同様に、明治のキリスト教研究も同じことが言える。同様な
レベルなのです。
                (詳しくは下記へ)
参考URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
  URL: http://moppo28.blog.so-net.ne.jp
 

オバマ大統領の演説『決して戦争はしない』

 投稿者:絶対、他人をあやめるな  投稿日:2010年11月 6日(土)01時30分27秒
返信・引用
  題 : 『決して戦争はしない』

 米同時テロ、追悼式典、
  オバマ大統領は、
   テロの対象となった
     ワシントン近郊の国防総省で演説し
 「 米国は、
     イスラム(教)との戦争に
        乗り出すことは
           決してない 」  と 強調。

 米国は
 「 多様で寛容な国 」
     とも述べ、
       宗教的な対立が広がらないよう
         国民に自制と団結を訴えた。
                (日経2010・9・12)
http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009/

http://ameblo.jp/staff1944/

 

武力によらないで広まった

 投稿者: 宗教・・・  投稿日:2010年 5月11日(火)01時25分33秒
返信・引用
  武力によらないで広まった宗教  (2)

〔 (1)よりのつづきです。(1)もお読みください 〕
☆近代の開始とともに、
  宗教の権威は衰えまして、
  国が力を持っている。
  国家形成において、巧みであった民族が、
  世界史のリーダーになった訳です。
  国が、絶対的なものと思われましたけれども、
  今日になりますと、
  国々を超えた 一つの地球共同体というものを、
  皆が考えなきゃいけない所まで 来てると思うんです。
  何が起きても、
  地球の上で どこで何が起きても、
  すぐそれが地球の上の
  あらゆる国々、
  さらに
  その国々の 住民の生活に
  すぐ影響が 及んで来る訳ですね。

  以前には、
  支配者が 非常に乱暴な 野蛮な行動をしても、
  また、文明の回復という事が 可能だったもんです。
  つまり、
  その力の 及ばない範囲が ありましたから、
  それから 優れた文明の伝統を 取り入れまして 生かせばよかった。
  ところが、
  だんだん 世界が一つに なって来て、
  何か起きますと、今度はいっぺん破壊してしまったら もう取り返しがつかない。
  この危険はあるわけです。

  世界が一つになる場合に、
  異質的なものに対する 「 理解と寛容 」 という事。
  これが 絶対必要だ と思います。
                 (1985年、昭和60年の発言、72歳)
 (霊鷲山りょうじゅせん・ラジギールで中村が礼拝する映像。
 「原始仏典の現代語訳をした中村は、2500年の時空を超えた。仏の声に耳を澄ますことでもあった」のナレーション。
   1986年、昭和61年73歳とのテロップ)

☆仏教の教え というものは、
 この上に輝く 日月(じつげつ)の様な ものである。
 太陽や月が、
 あらゆる人を 照らすように、
 仏教の教える真理 というものは、
 あらゆる人に 明らかなものであり、
 あらゆる人を 照らすという 訳です。
 続けて、
 釈尊はこう言われました。
 もしも、
 自分が 人々を導くのであるとか、
 あるいは、この修行者の仲間が 私を頼っているとか思うならば、
 私が死ぬという事は大変なことであろう。
 しかし、
 私は 自分がみんなを導くなんて 思ったこともない。
 また、
 みんなが 自分を頼りにしているなどとも 思わなかった。
 (釈迦涅槃像クシナガラの映像)
 自分は、ただ、人々の依るべき真理、
 真の生き方というものを明らかにした、
 それだけなのだ。
 だから、
 なにも 自分が消えて亡くなったからといって 嘆き悲しむな。
 およそ この世の物で、
 いつまでも破れないで、存続し続けるものは なにもない。
 いつかは 破れ 消え失せる ものである。
 その道理を 私は、お前たちに今まで説いて来たではないか。
 ただ、
 私は そこにある 「 一貫した真理 」というもの、
 それを 解き明かして来た。
 だから
 「 それに頼れ 」、 この変転、常ない世の中では、
 まず
 「 自分に頼るべき 」 である。

 自分に頼るとは
 どういう事であるか、
 自分は この場合にどうすべきか という事を、
 その場合、その場合に考える事 でしょう。
 その場合、
 何を 判断決定の基準に するのか。
 それは
 『 人間としての道 』
 『 法(のり) 』
 インドの言葉で言うと 『 ダルマ 』 と呼ばれるものです。
 これを 『 法 』 と訳しますが、
 この 人間の理法 というもの、
 これに頼ること。

 『 自己に頼れ、法に頼れ 』 。

 これが、
 釈尊の 最後の教え でありました。
 

武力によらないで広まった

 投稿者: 宗教・・・  投稿日:2010年 5月10日(月)01時29分31秒
返信・引用
  力によらないで広まった宗教  (1)

・・・『 仏教の本質 』  哲学者 : 中村 元(なかむら はじめ)
                  (You Tube)の談話・対談を採録

 ・中村 元 : 東京大学 インド哲学科、
   1912年(大正元年)島根県生まれ、1998年86歳没、
   東洋思想の世界的権威、
   昭和52年文化勲章受章
   (仏教研究の業績と比較思想という学問分野を確立し、膨大な
   著作を世に送り出し、晩年、世界平和に対する発言。
   原始仏典を現代語に訳し、研究領域は西洋哲学、キリスト教に
   及んだ・・とのナレーション)

 ・聞き手 : 臨床心理学者 河合隼雄

☆学ぶことの少ない人は、 牛の様に老いる。
 かれの肉は増えるが、 智恵は増えない。 (ダンマパダ)

☆「 相手に対する寛容の精神 」 というものが大事です。
  その点で仏教は、 「 無理に暴力・武力を用いて人に強いる 」  という事がありませんでした。
  昔は、 宗教が違うという事になると、「 必ず武力による闘争 」と 裏腹になっておりました。

  人類の歴史において、多くの宗教が現われたわけですけれど、
 「 武力に依らないで 説得だけによって 広まったのは仏教だけ 」 です。
 これは、西洋の宗教学者も 認めております。

  こういう考え方が、われわれの祖先の中でも 生きていたと思いま す。
  聖徳太子の憲法なんかにも はっきり出ております。
  現在でも、これは 「 大切な心がけ 」 じゃないでしょうか。

☆インド全体が ヨーロッパ全体と ほぼ同じなんです。
  文明の歴史においても、 広さにおいても、 人口においても
  (『インドこころの旅、ブッダ最後の旅路をゆく。
                     昭和61年放送よりの言葉)

☆(ナーランダ大学跡の映像で、 「 誰にも分かりやすく仏教を語る  中村さん 」 とのナレーションが )
  これがインドですよ。
  まるで石ころのように転がっている、
  どれひとつとっても 日本の国宝より古いんですからね。

☆人間の体は、王様の飾りたてた車のように、やがては朽ちてしま
  う。
  けれども、
  人から人に 伝えられる 「 真(まこと)の法(のり) 」は
  いつまでも輝く。
  人から人に 真理が伝えられる 訳でございましょう。
  それは 永遠の価値を持っている という意味なんでしょう。
  本当の自己というのは どういうものか。
  誰でも 人間は、どこかの場所で、いつかの時点で生まれて来た 訳です。
  そして、 必ず、両親があった訳ですね。
  それから、育ててくれる人があった、
  助けてくれる人があった。
  その助けてくれた人の数というのは
  無数でございます。
  人間だけじゃなくて、山川草木まわりのものが、
  何か関係を持って いる。
  遠く考えますと、
  宇宙の彼方から、例えば 太陽が 光線を送ってく る。
  そうすると、
  その太陽の恩恵も 受けているわけです。
  宇宙にある如何なるものも、
  孤立したものでは無いという思想。
  宇宙とつながりがある訳です。
  その繋がり方が、
  めいめい みんな 違う訳です。

  だから
  個々の自己は、
  非常に微々たるものと
  考えるかもしれません けれど、
  実は、
  その内には 偉大なものを秘めている 訳です。
  ですから、
  その偉大なものを 受けていることを 自覚すれば、
  そこで
  自分の生きる道は どうかという事が、
  おのずから明らかになって 実現されるという事に なるんじゃな
  いかと思うんですが。
                    (その2へ つづく)
 

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 投稿者:teacup.運営  投稿日:2010年 5月10日(月)01時25分39秒
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